伊太利亜八日間の記録3〜ミラノから
思えば、イタリア旅行に行ったのが四月。
半年経ってこの記録を書いている自分が情けなくなったり、思い出してみればナンダカンダ意外に憶えてるもんじゃん、と自惚れたりと苦しくも楽しい作業であった。
・・・いやいや、まだまだ終わらないのだ。
何しろまだイタリアに来て一日目を書き終えたばかりなのだ。
後何日分あるのか考えたくもないが、最後まで書き終えたいという意思はある事をここに記しておく。
毎度お馴染み脱線話もさることながら、強行日程観光地巡りの為にやたらと長文になってしまった。
ミラノで一泊したホテル『レオナルド・ダ・ヴィンチ』はミラノ郊外らしき場所にあった。
知らない町を歩くのは大好きだし、ましてここは言葉も通じないイタリアだ。
部屋に戻って一息ついたら、遅くまでやっている店で酒でも買ってみようかと思っていた。
若い頃に魚の形をしたボトルが話題を提供するので、馬鹿の一つ覚えで集まりの時に良く買っていたワインがあるのだ。
その名もズバリ『ペシュ・ヴィーノ(魚のワイン)』
とりあえず「ブォナセーラ(こんばんは)」と「ヴィーノ(ワイン)」と「グラツィエ(ありがとう」で間に合うだろう。
妻に反対されるのは承知だが、ちょっと外に出てみたい。
早速窓を開けて外を見てみたが、部屋からの夜景を見る限りは、夜に外へ出てみようという気には全くなれない環境だ。
人っこ一人見やしないどころか周囲ががあまりに暗過ぎて、遠くの何かの明かりと、空と目の前の木の影以外は判別すら難しい。
寂しい。
危険だとかいう前に、うら寂しいのだ。
あまりにも人の気配がない。
気配があるのは時折鳴く何種類かの鳥だけだ。
もしもこんなところで人を襲おうと待っている奴がいたとしたら、随分忍耐力のある人間だ。
俺なんか寂しくて歌を唄ってしまうだろう。
まぁ、そんな事はどうでもいい。
翌朝は八時半出発だ。
翌朝、勝手の解らぬ朝食システムでパンだのサラダだのを食べ、エスプレッソマシンでカプチーノを飲む。
バスに乗り込み、いよいよ出発だ。
我々がミラノでまず行ったのは、カステロ・スフォルツェスコという建物だ。
カステロはキャッスルのイタリア語で、要するにスフォルツェスコという舌の噛みそうな名前の城だ。
ミラノ中心部では大々的にスポーツイベントが開催されているらしく、軽装の老若男女でごったがえしていた。
典型的な外国人イントネーションの日本語を早口で話す女性現地ガイドの言うままに、バスを降りた。
かなり遠くから見ても高い建造物で、向こう側がどうなっているのか気になる。
あの中はどうなっているんだろう。
ところが、ガイドはピクチャータイムだとか何だとかいうような意味合いのことを言って、五分も時間をくれないのだった。
俺達はバスを降りて、降りた場所で百メートル以上離れた城を背景に写真を撮り、撮ってすぐにバスに乗った。
期待が大きかったのもあって、拍子抜けしたと言うか出鼻をくじかれたと言うのか、肩透かしを食らったと言うべきか、とにかくそんな印象だ。
強行日程というのは覚悟していたが、心に何か納得出来ないワダカマリのようなものが芽生えた。
俺はゆっくりと周回するバスの中で城壁を恨めしげに眺めながらその想いを断ち切り、次の観光スポットに期待を寄せていた。
そしてツアーバスが停まったのは、免税店なのだったのだ。
トイレ休憩という大義(という程のものではないが)があるものの、期待に胸膨らむツアー初日に、じっくり訪れたのが免税店というのは、いかがなものか。
とかなんとか言いつつも、実は冷え症の俺は我先にとトイレに駆け込んでいたのだが・・・。

いわゆる土産物に興味の無い我々夫婦は、ベネチアングラスのブローチやペンダントヘッド、細かい造作のカメオを一通り見て、
「この程度なら俺でもフュージングで作れそうだね」
「作家ものじゃないとどうって事ないもんだねぇ」
等と不届きな事を囁き合っていた。
お土産物として売っているパスタやハーブオイルなども、値段を見れば日本と大して変わらない。
見るものがなくなった我々は、店の外に出て時間を潰す。
足元を見て気付いたのだが、建物の前の歩道の下は地下鉄の換気口のようなものがあり、下を覗いてみればそこには沢山のエアコン室外機が据えてあるのだった。ここの法律ではエアコンは地下か屋上に据えるものらしい。
たぶんこのエアコンはヨーロッパシェアNo.1のDAIKIN製なのだろう。
DAIKINといえば、『ぴちょん君』なのだ。

このイメージキャラクターの名前募集に、実は俺も応募していた。
自信満々で出したのだが、結果的に採用されなかった。
しかし『もう一歩で賞』くらいくれてもいいと思うのだ。
結構カスッていた。
『ぴっちょん』
・・・惜しい。実に惜しい。
まあ、そんな事をイタリアくんだりに来てまで思い出しながら、ミラノ観光に気合いを入れるのだった。
次に行ったのは本物のスカラ座だ。
劇場の正面にあたる広場まで引率され、ガイドの説明を聞いた。
大きな広場だけあって空が広く感じる。

空気がきれいなのだろう、澄んだ青が果てしなく広がっていた。
ガイドの説明が一通り終わり、さていよいよ入場だ、と思ったら大間違いだ。
ここも遠目に眺めるだけなのだった。
しかし二回続けての肩透かしも何のその、ミラノのコースはまだまだ見所満載だ。
これからが本番と言うところ。
大相撲でいえば十両に幕内、大関横綱クラスの名所が控えているのだ。
今までの名所は、まだ髷も結えない序二段あたりだと思えばいい。
我々一行はスカラ広場とドゥオーモ広場を結ぶガッレリーア・ヴィットリオ・エヌマーレ2世アーケードに向かう。

ガラスと鉄で出来たドーム天井の圧倒的スケール感に打ちのめされた。
現代建築でない限り、ちょっと日本では考えられない。
十字形のアーケードの交わる角にはモザイクが施してある。

モザイクをやっていた人間としては壁画を間近で見たいところだが、とてもじゃないが高所恐怖症の俺には無理だ。
あまり上ばかり見ていたので、口が開きっぱなしだったし、首が痛くなった。
首を回しながら足元を見ると、手の込んだ大理石モザイクがあちらこちらに。

僅かばかりの自由時間を経てアーケードを抜けると、ゴシック建築の最高傑作、ドゥオーモだ。
あいにくこの大聖堂は修復工事で、立派なというか、肝心のファサードは足場で囲われ洗浄中だった。
脇の団体客用の列に並んでいる間、五つの青銅の扉にはそれぞれテーマを持ってレリーフが施されているのだが、俺の目はその扉の枠の彫刻に釘付けになった。

美しく、グロテスクで、少しおかしくもある。

元々・・・理由は解らないのだが、日本でも仏像や仁王像よりも彼等に踏みつけられている邪鬼に魅了されてしまう趣向なのである。

そういえば興福寺に行った時に、普段虐げられている邪鬼がすっくと立ち、仏の前で灯を捧げる『国宝 天燈鬼立像』を見付けた時は、何か報われた気がして涙しそうになった。
それはともかくとして、ドゥオーモの中に入るとあまりの暗さに驚いた。
ミサの真っ最中だ。
ステンドグラスがモノトーンの世界に色彩を呼び込み、荘厳な雰囲気を漂わせていた。
目が段々と慣れてくるにつれて大きな油彩などが飾ってあるのに気が付いたが、燭台の揺らめきの中、自分たちがその場にいる事に違和感を感じ始めていたので割と早めに外に出て来てしまった。
見る事の出来ない正面からぐるりと回り、外観を撮る。

腹が鳴り始めていた。
バスで移動し昼食を摂った後、我々は再びバスに乗り込み二時間かけてヴェローナへ。
ここはロミオとジュリエットの舞台として知られている古都らしい。
大きな川の向こうにバスを停め、ぞろぞろと歩いた。
町の中心部は狭くてバスが通れないのだろう。
観に行くのはモデルとなったカプレーティ家の屋敷、通称『ジュリエッタの家』だ。
途中、スカラ家の廟を眺めつつ目的地に向かった。

いやはや何しろ物凄い数の人だ。
スカラ家の墓の前は例えれば新宿の歩行者天国だとしよう。それがジュリエッタの屋敷近くまで来ると、原宿竹下通りになり、屋敷が見えてくる頃には大晦日の成田山参拝並みになる。
俺はプリマドンナのようにくるくると回りながらも、妻を見失わないように一回転する毎に所在を確認し、人の波に揉まれつつ、かの有名なバルコニーの下に流されていった。
飛び交うイタリア語の中にスペイン語も聞こえてくる。観光客の中にはスペイン人も多そうだ。
観光客に埋め尽くされた庭は、思いのほか小さかった。
バルコニーなど、畳み一枚分あるのかどうか。
脇には土産物屋だ。
それを見て何だか興が削がれた。
バルコニー下にはブロンズ製のジュリエットの像があり、右の胸を触ると恋が成就するとか何とか言い伝えがあるという。人の手に磨かれて片側の胸だけ光っていた。入場料を払えば、屋敷の中に入りバルコニーに出られるらしかったが、それにもあまり興味が沸かなかった。
代わりに俺が惹かれたのはその壁に取り付けられた照明器具だ。

イタリアの町は鍛鉄や鋳鉄で出来た装飾金物があちこちに見られた。バルコニー、門扉、照明、ドアノッカー、蝶番。数えればキリがない。

そのどれもが個性的で魅力に溢れている。

『他人と違うことをやりたがらない国』から来た俺には、そういうもの一つ一つが新鮮に見えた。
そんな旅だったから、人が見たら何だか解らない写真ばかりに撮っていた。
その後、我々一行はローマのコロッセオに続く規模の円形劇場アレーナを横目に眺めつつ、バスに乗り込み一路ヴェニスへ向かうのだった。

続く
半年経ってこの記録を書いている自分が情けなくなったり、思い出してみればナンダカンダ意外に憶えてるもんじゃん、と自惚れたりと苦しくも楽しい作業であった。
・・・いやいや、まだまだ終わらないのだ。
何しろまだイタリアに来て一日目を書き終えたばかりなのだ。
後何日分あるのか考えたくもないが、最後まで書き終えたいという意思はある事をここに記しておく。
毎度お馴染み脱線話もさることながら、強行日程観光地巡りの為にやたらと長文になってしまった。
ミラノで一泊したホテル『レオナルド・ダ・ヴィンチ』はミラノ郊外らしき場所にあった。
知らない町を歩くのは大好きだし、ましてここは言葉も通じないイタリアだ。
部屋に戻って一息ついたら、遅くまでやっている店で酒でも買ってみようかと思っていた。
若い頃に魚の形をしたボトルが話題を提供するので、馬鹿の一つ覚えで集まりの時に良く買っていたワインがあるのだ。
その名もズバリ『ペシュ・ヴィーノ(魚のワイン)』
とりあえず「ブォナセーラ(こんばんは)」と「ヴィーノ(ワイン)」と「グラツィエ(ありがとう」で間に合うだろう。
妻に反対されるのは承知だが、ちょっと外に出てみたい。
早速窓を開けて外を見てみたが、部屋からの夜景を見る限りは、夜に外へ出てみようという気には全くなれない環境だ。
人っこ一人見やしないどころか周囲ががあまりに暗過ぎて、遠くの何かの明かりと、空と目の前の木の影以外は判別すら難しい。
寂しい。
危険だとかいう前に、うら寂しいのだ。
あまりにも人の気配がない。
気配があるのは時折鳴く何種類かの鳥だけだ。
もしもこんなところで人を襲おうと待っている奴がいたとしたら、随分忍耐力のある人間だ。
俺なんか寂しくて歌を唄ってしまうだろう。
まぁ、そんな事はどうでもいい。
翌朝は八時半出発だ。
翌朝、勝手の解らぬ朝食システムでパンだのサラダだのを食べ、エスプレッソマシンでカプチーノを飲む。
バスに乗り込み、いよいよ出発だ。
我々がミラノでまず行ったのは、カステロ・スフォルツェスコという建物だ。
カステロはキャッスルのイタリア語で、要するにスフォルツェスコという舌の噛みそうな名前の城だ。
ミラノ中心部では大々的にスポーツイベントが開催されているらしく、軽装の老若男女でごったがえしていた。
典型的な外国人イントネーションの日本語を早口で話す女性現地ガイドの言うままに、バスを降りた。
かなり遠くから見ても高い建造物で、向こう側がどうなっているのか気になる。
あの中はどうなっているんだろう。
ところが、ガイドはピクチャータイムだとか何だとかいうような意味合いのことを言って、五分も時間をくれないのだった。
俺達はバスを降りて、降りた場所で百メートル以上離れた城を背景に写真を撮り、撮ってすぐにバスに乗った。
期待が大きかったのもあって、拍子抜けしたと言うか出鼻をくじかれたと言うのか、肩透かしを食らったと言うべきか、とにかくそんな印象だ。
強行日程というのは覚悟していたが、心に何か納得出来ないワダカマリのようなものが芽生えた。
俺はゆっくりと周回するバスの中で城壁を恨めしげに眺めながらその想いを断ち切り、次の観光スポットに期待を寄せていた。
そしてツアーバスが停まったのは、免税店なのだったのだ。
トイレ休憩という大義(という程のものではないが)があるものの、期待に胸膨らむツアー初日に、じっくり訪れたのが免税店というのは、いかがなものか。
とかなんとか言いつつも、実は冷え症の俺は我先にとトイレに駆け込んでいたのだが・・・。

いわゆる土産物に興味の無い我々夫婦は、ベネチアングラスのブローチやペンダントヘッド、細かい造作のカメオを一通り見て、
「この程度なら俺でもフュージングで作れそうだね」
「作家ものじゃないとどうって事ないもんだねぇ」
等と不届きな事を囁き合っていた。
お土産物として売っているパスタやハーブオイルなども、値段を見れば日本と大して変わらない。
見るものがなくなった我々は、店の外に出て時間を潰す。
足元を見て気付いたのだが、建物の前の歩道の下は地下鉄の換気口のようなものがあり、下を覗いてみればそこには沢山のエアコン室外機が据えてあるのだった。ここの法律ではエアコンは地下か屋上に据えるものらしい。
たぶんこのエアコンはヨーロッパシェアNo.1のDAIKIN製なのだろう。
DAIKINといえば、『ぴちょん君』なのだ。

このイメージキャラクターの名前募集に、実は俺も応募していた。
自信満々で出したのだが、結果的に採用されなかった。
しかし『もう一歩で賞』くらいくれてもいいと思うのだ。
結構カスッていた。
『ぴっちょん』
・・・惜しい。実に惜しい。
まあ、そんな事をイタリアくんだりに来てまで思い出しながら、ミラノ観光に気合いを入れるのだった。
次に行ったのは本物のスカラ座だ。
劇場の正面にあたる広場まで引率され、ガイドの説明を聞いた。
大きな広場だけあって空が広く感じる。

空気がきれいなのだろう、澄んだ青が果てしなく広がっていた。
ガイドの説明が一通り終わり、さていよいよ入場だ、と思ったら大間違いだ。
ここも遠目に眺めるだけなのだった。
しかし二回続けての肩透かしも何のその、ミラノのコースはまだまだ見所満載だ。
これからが本番と言うところ。
大相撲でいえば十両に幕内、大関横綱クラスの名所が控えているのだ。
今までの名所は、まだ髷も結えない序二段あたりだと思えばいい。
我々一行はスカラ広場とドゥオーモ広場を結ぶガッレリーア・ヴィットリオ・エヌマーレ2世アーケードに向かう。

ガラスと鉄で出来たドーム天井の圧倒的スケール感に打ちのめされた。
現代建築でない限り、ちょっと日本では考えられない。
十字形のアーケードの交わる角にはモザイクが施してある。

モザイクをやっていた人間としては壁画を間近で見たいところだが、とてもじゃないが高所恐怖症の俺には無理だ。
あまり上ばかり見ていたので、口が開きっぱなしだったし、首が痛くなった。
首を回しながら足元を見ると、手の込んだ大理石モザイクがあちらこちらに。

僅かばかりの自由時間を経てアーケードを抜けると、ゴシック建築の最高傑作、ドゥオーモだ。
あいにくこの大聖堂は修復工事で、立派なというか、肝心のファサードは足場で囲われ洗浄中だった。
脇の団体客用の列に並んでいる間、五つの青銅の扉にはそれぞれテーマを持ってレリーフが施されているのだが、俺の目はその扉の枠の彫刻に釘付けになった。

美しく、グロテスクで、少しおかしくもある。

元々・・・理由は解らないのだが、日本でも仏像や仁王像よりも彼等に踏みつけられている邪鬼に魅了されてしまう趣向なのである。

そういえば興福寺に行った時に、普段虐げられている邪鬼がすっくと立ち、仏の前で灯を捧げる『国宝 天燈鬼立像』を見付けた時は、何か報われた気がして涙しそうになった。
それはともかくとして、ドゥオーモの中に入るとあまりの暗さに驚いた。
ミサの真っ最中だ。
ステンドグラスがモノトーンの世界に色彩を呼び込み、荘厳な雰囲気を漂わせていた。
目が段々と慣れてくるにつれて大きな油彩などが飾ってあるのに気が付いたが、燭台の揺らめきの中、自分たちがその場にいる事に違和感を感じ始めていたので割と早めに外に出て来てしまった。
見る事の出来ない正面からぐるりと回り、外観を撮る。

腹が鳴り始めていた。
バスで移動し昼食を摂った後、我々は再びバスに乗り込み二時間かけてヴェローナへ。
ここはロミオとジュリエットの舞台として知られている古都らしい。
大きな川の向こうにバスを停め、ぞろぞろと歩いた。
町の中心部は狭くてバスが通れないのだろう。
観に行くのはモデルとなったカプレーティ家の屋敷、通称『ジュリエッタの家』だ。
途中、スカラ家の廟を眺めつつ目的地に向かった。

いやはや何しろ物凄い数の人だ。
スカラ家の墓の前は例えれば新宿の歩行者天国だとしよう。それがジュリエッタの屋敷近くまで来ると、原宿竹下通りになり、屋敷が見えてくる頃には大晦日の成田山参拝並みになる。
俺はプリマドンナのようにくるくると回りながらも、妻を見失わないように一回転する毎に所在を確認し、人の波に揉まれつつ、かの有名なバルコニーの下に流されていった。
飛び交うイタリア語の中にスペイン語も聞こえてくる。観光客の中にはスペイン人も多そうだ。
観光客に埋め尽くされた庭は、思いのほか小さかった。
バルコニーなど、畳み一枚分あるのかどうか。
脇には土産物屋だ。
それを見て何だか興が削がれた。
バルコニー下にはブロンズ製のジュリエットの像があり、右の胸を触ると恋が成就するとか何とか言い伝えがあるという。人の手に磨かれて片側の胸だけ光っていた。入場料を払えば、屋敷の中に入りバルコニーに出られるらしかったが、それにもあまり興味が沸かなかった。
代わりに俺が惹かれたのはその壁に取り付けられた照明器具だ。

イタリアの町は鍛鉄や鋳鉄で出来た装飾金物があちこちに見られた。バルコニー、門扉、照明、ドアノッカー、蝶番。数えればキリがない。

そのどれもが個性的で魅力に溢れている。

『他人と違うことをやりたがらない国』から来た俺には、そういうもの一つ一つが新鮮に見えた。
そんな旅だったから、人が見たら何だか解らない写真ばかりに撮っていた。
その後、我々一行はローマのコロッセオに続く規模の円形劇場アレーナを横目に眺めつつ、バスに乗り込み一路ヴェニスへ向かうのだった。

続く
by angelwhisker
| 2006-09-25 22:55
| 外出
ヨッスィーが凸凹猫コンビ、タビーとチャイの可笑しい生活を綴る。路地裏の猫達に幸せを届ける『マタタビ至福団』の本部。
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